上毛新聞 掲載コラム「視点」

第4回 心の鏡 曇らぬよう磨き続けて

 二十年ほど前のことだろうか。一緒に仕事をしていた事務所の人が、どうも気に入らない。いやとなると何もかもが目について、面白くない。こちらが面白くなければ、相手だって面白くないのは当然である。そのうち、その人はあちこちで私の悪口をいうようになって、ほとほと困った。 全部私が悪いわけではないのに、このままでは仕事にもさしつかえる。そんな面白くない日がどのくらい続いたろうか。私はハッと気がついた。悪口を言われるのはだれのせいでもない、みんな自分が悪いのだ。自分に降りかかって来るすべての問題は、全部自分のせいなのだ。

自分が心を正し、素直な心にならない限り、相手がこちらに対して心を変えてくれるはずがない。それに気が付いた私は、今度その人を見る角度を変えてみた。すると、その人のいいところがたくさん見えてきた。今まで全然見えなかった部分までもが、浮かび上がって見えてきた。今までは自分の心がゆがんでいたから、何もかもが自分の心に正しく映らなかったのである。ゆがんだ鏡には何を映しても、ゆがんで見えるのと同じなのだ。
すると今度は、いいところは素直にほめてあげたくなる。ほめられれば悪い気はしないはずだ。いつしかその人からの悪口は聞こえなくなり、いつの間にか笑いが生まれ、仕事も楽しくできるようになった。私はその人に教えられた。自分が素直でなかったら、相手も素直な心でこちらを見てくれない。こちらが素直に心を開けば、相手も必ず心を開いてくれるということを。
そういえば、自分が「あの人何となく好きじゃない」と思っていると、必ず相手もこちらのことを好きじゃないから不思議である。それ以来、私は常に素直な心でいられるよう心がけ、人に会った時もまず自分から心を開き、相手を好きになるよう心がけた。すると、相手も必ずこちらに心を向けてくれる。そのようにして、どんどん人の輪を広げていきたいと思っている。

私は結婚したことがないから、嫁と姑(しゅうとめ)のことはよく分からないが、よくお互いに愚痴(ぐち)のこぼし合いをしているのを耳にする。どちらも相手が悪いのだと決めつけて、相手の悪口を言う。まず自分が悪いのだと、お互いがそう思えるようになったら、嫁と姑はきっと仲良くできるんじゃないでしょうか。

私の身近なところでも、「うちの嫁は」とか、「うちのお母さんたら」と、会うたびに悪口を言っている。もう聞きたくない。聞けばささいなことなのだ。 私は姉から聞いた例を取り上げて、自分もやってみた。ある時、私の仲のいい姑さんが来て、またお嫁さんの悪口を言う。「この間お嫁さんに会った時、お母さんのことをほめていたわ。私も悪いところがあったのよなんて」。そう言ってあげたら、「へえ、あの嫁がそんなことを?」と半信半疑。「面と向かうと、お互いにいやなことばかり目につくようだけと、心の中ではあんたに感謝しているみたいよ」と言うと、「そういえばね、うちの嫁だって悪いところばっかりじゃないのよ」と、今度はいろいろほめ始めた。
愚痴を聞いたり、悪口を聞いた時、第三者がちょっと気を使ってあげれば、嫁と姑だって、友達同士だって、仲直りできるはず。それ以来、お友達はお嫁さんとうまくやっているとか。私の作戦は大成功。私はいつまでも自分の鏡が曇らないよう、磨き続けていきたいと心がけていきます。

古都 清乃

Index

掲載コラム目次